昼間にあった事はなんだったのだろうか。夜になって嵐の言うとおり月夜は夕香を外に
連れ出して小高い丘の上に連れてきた。木が近くにたち辺りを一望できる丘だった。
「何よ」
「上、眺めてみな」
 辺りには漆黒の闇が広がっている。その闇の中、月夜が上を指差すのがみられた。その
白い手に惹かれて上を見ると闇の帳に瞬く静謐な光が自分たちを包んでいた。
 それを見て目を見開き月夜を見ると肩をすくめていた。そしてゆっくりと言葉を紡がれ
た。
「今日、誕生日なんだろ?」
 その言葉に驚いた。まだ、そのことを月夜には言っていない。どうしてそれを知ってい
るのかと思った。
「嵐の奴が言ってたんだよ。七夕だからな、ついでに星見もしてきなって」
 そう言うと何で自分でしないんだかと独りごちた。夕香はその言葉に嵐は気を使ってく
れたのだなとひそかに感謝していた。嵐が自分に異性としての好意を抱いているのは分か
っていた。だが、自分は嵐に異性間の好意は抱いていない。むしろ、月夜に惹かれている。
それを感づいているのだろう。
「気の利いた真似しやがるな。嵐も」
 つい、ぞんざいな口調になった。癖だ。中学の頃は荒れていたから、改めた今でも時々
こんな口調が帰ってくる。
 夕香は地面が湿っていない事を確認して座り、寝転がって空を見た。月夜も同じように
して夕香の横に並ぶ。二人とも両腕は組み頭の後ろに回している。夏にしては涼しい風が
二人を包む。
「久しぶりだな。こういう風に眺めるのも」
 月夜がポツリともらした。幼い頃は兄と共に毎晩でかけては星を眺め父に怒られたもの
だ。静かに瞬く星は心地良い静かな神気を伝える。そう言えば月光浴も日光浴と同じ様に
いいんだっけなと思い出して夕香を見た。
「夕香?」
「ううん。なんか、すごくて。ここまでの星ってなかなか見られないからさ」
 確かに今のこの国に居てはこんな星空見られないだろう。自動車が行き交い排気ガスが
大気を汚染しているそんなところでは。
「綺麗」
 うっとりと夕香は呟いていた。その表情を余すことなく月夜は見ていた。夜目が利くの
だ。利くどころではないだろう。闇に包まれてもその目は見える。犬神の瞳と同じくする
から。
「天にあっては願わくは比翼の鳥となり、地にあっては願わくは連理の枝となりましょう。
……知ってるか?」
 ふるふると夕香は首を横に振った。そうだろうなと思いつつ言葉を続けた。
「白居易の長恨歌という漢詩の中でな恋人同士である男と女はそう言ったんだ。七夕の星
空を見上げて」
「どう言う意味なの?」
「天に在りてはどうか比翼の鳥となって、地に在りてはどうか連理の枝になりたい。そん
な感じだ。比翼の鳥は雄と雌が居て始めて羽ばたける片翼だけの鳥で、連理の枝は二つの
枝が合わさって一つになった枝のことを言う。どちらとも、今では夫婦仲がとてもいいこ
とに使われるな。この漢文で」
「へえ」
 こんな事言う月夜は珍しい。まるで口説いているみたいだ。そう至ってしまった自分の
思考に赤面した。
「こんな星空見てさ、何でそう思ったんだろうな」
 ぼんやりと月夜は言った。その表情は虚ろと言うより悩める少年のような年相応の表情
をしていた。
「さあ。あたしたちにそんなこと分からなくていいんじゃないの? だってまだ二十も行
ってないがきだし」
「その恋人達はな、女の方を殺されて男が魂となった女を捜すほどのものだったらしい。
……正直、俺はそこまでの強い感情は分からない。多分、それは俺自身そんな強い感情の
力に虐げられたことがないからなのだろう」
 星を眺めて月夜はそう呟いた。なぜか、月夜が遠い存在のように感じられた。手を伸ば
してそっと肩に触れた。意外に逞しい肩だ。月夜は自嘲気味に笑うと変なこと言ったな、
と呟いた。
 だが、始めて月夜の本心に触れたような気がした。人でありながらまだ、強い感情に支
配された事のない事に焦りを抱いているのだろうか。それについて悩んでいるのは絶対だ。
しかし何でだろうか。
「まだ、十代だからさ、愛とか、恋とか、そんなの、形を知らなくていいと思う。しかも
人によって違うんじゃないかな。形って。人それぞれに気持ちがあるからその恋人同士で
自分たちの形を作ってそれでずっと居るんじゃないの? だから、好きだから殺したとか
そんな訳わかんないのがいるんじゃないかな」
 まるで答えになってないなと我ながら思い溜め息をついた。静寂と共に返されたのは穏
やかな肯定の頷きだった。
「そうだよな。まだ、俺は十八だもんな」
「この年でそんな狂うような強い感情を抱いていたら変でしょ」
「そうだな。……まだ、俺達には時間がある。だから…………」
 え。目を見開いて月夜を見るとそこには穏やかな寝顔があった。その後に続く言葉を聞
きたいような聞きたくないような矛盾した思いを抱いて溜め息をついた。そして体を起こ
して月夜の頬に触れた。滑らかな暖かい肌の感触が手に残る。夕香は今だけでも良いから
こんな穏やかな時を二人で過ごしたいとふと思った。
 朝日が目を射る。降り注ぐ日の光を感じながら月夜は目を覚ました。近くにぬくもりの
ある肢体がある。半ば無意識にそれを引き寄せ鳩尾辺りに柔らかい物があたるのを感じて
機敏に飛び退った。数メートル距離を置いて昨夜から今までのことを考えた。夕香と話し
ていてそれから寝てしまっていたようだった。そして近くにいたのは紛れもない夕香で、
それを引き寄せて――――。
 冷静な月夜も朝からのこの手の攻撃に平静を失っていた。顔を赤くさせて顔を背けた。
ここまで動揺する月夜は珍しい。恐らく攻撃した本人には無意識なのだろうが月夜にして
はかなりの攻撃だ。
「何してやがる。こいつは」
 やっとまとまった思考で呟いた。そしてそんな事はお構いなしですやすやと眠る夕香を
見てがっくりと項垂れて、すうすうと眠っている夕香の寝顔を愛おしげに撫でた。そして
さほど身長が変わらない夕香を軽々抱き上げて屋敷に帰った。昼頃を過ぎるとようやく夕
香が目を覚ました。そして仕度を整えると寮に向かった。

←BACK                                   NEXT⇒